告白~若き日のシンクロニシティ体験
今からちょうど20年ほど前になります。
当時の私は心理学や哲学といった分野に惹かれてさまざまな著作を読み漁っていました。
特にC・Gユングに出会い、何故だかは未だにわからないのですが、強い共感と言いますか、とにかく「元型」や「集合的無意識」といった概念がスッと心に響いたことを覚えています。
そのユングの著作との出会いの後、ある日ユングと出会ってハグをする夢を見たのも強烈に印象に残っています。
そして最初の始まりの記憶はもうありませんが、その時期にシンクロニシティが頻繁に起こり始めました。
ただ、シンクロニシティは私の内部(意識・心)と外界の出来事が「偶然の一致」としてあらわれるものなので、経験者である私以外に外界と内界の一致を感じられる存在はいません。
ですので、実際シンクロニシティを経験したことがあるという人以外、他人にいくら説明しても理解や共感をされることはほとんどありません。
ただ、結論から先に言ってしまえば、その時期は頻繁にシンクロニシティが起こり、そのシンクロニシティの出来事ががさらに次のシンクロニシティとシンクロしあうという体験の中で、私は「自分の中の自分を超えた自分」ともいうべきものを強烈に体感しました。
それは自分の意思でありながら、自分だけの意思ではないと言いますか、とにかく自由に自分で飛び回っていたつもりだったものが、まるでお釈迦様の手の平の上を筋斗雲で飛び回っていただけの孫悟空のような気持ちになるような出来事でした。
最近は私自身にいわゆるシンクロニシティは起こっていないようにも感じますが、その体験以来、「探す者は探されている者」ですとか「自由意志と運命論は同じ」だとか「すべては起こるべくして起こる」という言葉が徐々に何の抵抗もなく「そうだな」と思うようになりました。
そして、自分に苦しい事や嫌な出来事が起こった時も、すぐにではありませんが、「これも自分にとって必要だから起こったのだな」と今は少しずつでも思えるようになった切っ掛けだったと思います。
もっとも、人生で苦しい時期や出来事の渦中にいる他の人に「それは起こるべくして起こってますよ」とかはとても言えませんけどね(笑)
・・・今日は何故だかこんな「昔の体験」を書こうと思いました。
これも何か私を超えた意味があるのかな?
よくわかりませんが、普段は誰にも言わない(ある意味、言えない(笑))話をしたくなり書いてみました。
~あるべきものは、あるべきところへ~