アルコール依存症の心理カウンセラー・ライフリフォームコーチ、藤 司朗の人生改革日記

アルコール依存症だけど、それでも人生に「YES」と言うために心理カウンセラー&ライフコーチとして生きなおす日々の日記

最近、時々頭をよぎるフレーズ

私が通った学校が仏教系の学校だったこともあり、特に禅との縁がありました。

 

禅問答でよく出てくることなのですが、「求めればただちに外れてしまうが、求めなければ得ることはできない」という意味のやりとり(問答)がよくあります。

 

もちろん、これは「悟り」についてのことなのですが、私が時々思うのは、アルコール依存症についても意味は違えど似たようなことが言えるのではないかということです。

 

アルコール依存症は意思だけで回復することは困難です。

 

やめようと思ってアルコールをやめられるのなら、依存症ではありません。

 

一方、それでもアルコールをやめよう、断酒をしようという気持ちがなければ回復することはできません。

 

これが依存症者のジレンマで、アルコールの誘惑と戦い、回復を求めて頑張り過ぎることでどこかで無理が生じ、葛藤によって周囲との関係などに影響が出てしまったり、バーンアウト(燃え尽き)して再飲酒してしまったりしてしまいます。

 

逆に「もう一生治らないのだから」と回復をあきらめて断酒も何もしなければ、体を壊すのはもちろん、家庭崩壊や生活破綻してしまうことでしょう。

 

では、このジレンマを克服する方法は・・・?

 

・・・残念ながら「これ」と言えるものは恐らくないでしょう。

 

将来、画期的な薬や何かが開発されれば状況は変わるかもしれませんが、今のところは万人に効く方法はないと思います。

 

最近私は月に2回ほど、私もアルコール依存症のプログラムを受けた病院へ断酒会メッセンジャーとして出席させていただいていますが、やはりその時に「どうすれば断酒を続けられますか?」とよく聞かれます。

 

そのメッセージの場では、私も一般論的なこと「通院・投薬・自助グループを続けることが大切だと思います」などと言いますが、そんな時、ふと先程の禅問答のフレーズが私の頭をよぎるのです。

 

それは、理屈や方法を超えた「突破(ブレイクスルー)」を必要とする点で共通の部分があるのではということを、私の直感が感じているからかもしれません。

 

また、ほとんどの心理療法の前提には「人間には先天的に回復への意思・力がある」という考えがあると思います。

 

その人間が元々持つ潜在力と言いましょうか、回復力に気付いて変化が起こった時に、回復のジレンマを突破して新しい人生を再構築できるのではないかと私は思っています。

 

アルコール依存症における「回復」とは、単にアルコールを飲まないでいるということではありません。

 

アルコールに頼り、溺れた自分を打ち捨てて、新しい自分と人生を再構築することだと思います。

 

そういう意味において、アルコール依存症はアルコールの問題だけととらえるのではなく、人生の問題として考える必要があるのではと最近強く感じます。

 

しかし、それは単に自力の人為的努力によって行われるのではないとも思っています。

 

断酒会の「断酒の誓い」も、AA(アルコホーリクス・アノニマス)の「12のステップ」でも、第1に書かれているのは「私は酒(アルコール)に対して無力であると認める」ことが挙げられています。

 

では、無力な「私」がアルコールからどのように回復していくのか?

 

そこにこそ、私は「答え無き答え」を感じているのですが・・・。

 

しかし今は

『語り得ぬものについては、沈黙しなければならない』

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン